2014年1月12日日曜日

風船工場


掌編小説を11本収録。
「大きな帽子の女」「アドバルーン」「放射能」「水滴」「壜」「猛禽類」「象」「カブトムシ」「死体画像」「風船工場」「電気くらげ」。
料金(税込):880円(単品購入だと各110円)
購入はnoteで→風船工場


  抜粋作品:大きな帽子の女 


わたしは世界中を旅してきたのです。


その女は言った。
女は巨大な帽子をかぶり、いつも駅前に立っていた。
女の顔には痣があった。顔のおでこから右目のあたりまで赤く広がっていた。


わたしは砂漠を通り、飛行機に乗り、ハイウェイを飛ばし、海を渡りいろいろなところにゆきました。


女が何者なのか、私の仲間内でも話題になっていた。毎日あの変な帽子の女は何をしているんだろう。誰かを待っているのだろうか。


旅の間、いろいろな人達と出会いました。悪い人もいたし、素敵な人もいました。


あの帽子には見覚えがあると年嵩の一人が言い出す。子供のころ、近所に住んでいた女の子がかぶっていたのに似ているのだという。


わたしは出会った人々のおかげでいろいろなことを学びました。この世界のことや、生きることについて…。


年嵩の一人はその女の子と友達だったわけではない。一緒に遊んだこともなくて、たまに見かけるだけだった。見かけるときは必ず大きな帽子をかぶっていたので印象に残っていたのだという。


いいことばかりではなくて旅先では怖い目にも遭いました。外国には危ないところが多いから。


あの女の子は仲間に入ろうとしなかった。年嵩の仲間は思い出す。おもしろい帽子だね。話しかけても逃げるだけだった。逃げられれば興味がわく。女の子はどうやら少し離れたアパートに住んでいるようだった。


わたしは怖ろしい男達に連れ去られ監禁されたのです。男達は薄暗い部屋にわたしを閉じ込め、両手を縛って逃げられないようにしました。


年嵩の仲間は一度女の子の部屋のドアから聞き耳を立てたことがあるらしい。泣き声や怒鳴り声や叩く音が聞こえてきて、怖くなり、その後近づかなかったという。


でもわたしは上手く逃げることができました。男は酒を飲んだまま眠ってしまい、消し忘れたタバコが室内に引火したのです。それで消防車が駆けつけ、わたしは救い出されました。


それからしばらくして、そのアパートで火事が起きた。年嵩の仲間は続ける。放火という噂もあったが結局誰かが捕まるようなことはなかった。帽子の女の子は施設に連れてゆかれたという話を聞いてそれきりだった。


わたしは幸運でした。神様の思し召しだと思いました。監禁した男は逃げ遅れて焼け死んでしまいました。少し可哀相だと思います。わたしはそんなにひどいことをされたわけではないのに。でもこれも運命なのです。神様の思し召しなのです。でもそんなにひどいことをされたわけではないんです…。


いろいろ話した挙句、結局私が大きな帽子の女に声をかけることになった。ストレートにいつも何をしているんですか、と声をかけると帽子の女は嬉しそうな表情を作り、口を開いた。女は世界中を旅していて、たまたま故郷に帰ってきたので、少しぶらぶらしているのだという。もっと話を、と私は近くの喫茶店に誘い、女の話をこうして聞いている。


喫茶店の中でも女は帽子を脱ぐことをしなかった。女の顔の上で赤い痣の地帯が表情につられて揺れる。火事の話をしても女は自分の痣のことには触れなかった。私もそのときのやけどですか、とは聞かない。


帽子の女は自分の見た世界の話をまだ続けている。私はほとんど聞いていない。ただ、じっと女の赤い痣を見つめている。

おでこから右目のあたりまで広がったその赤い地帯は世界のどこかを示す地図のように見える。

(了)